2011年11月21日月曜日

明神P~三坂峠~松山6ヶ寺・文殊院

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遅くなりました。15.16日と2期の皆様と明神Pから三坂峠を下り、石手寺まで歩いてきました。15日は八坂寺まで歩き、16日は衛門三郎の里、八坂寺から文殊院、八塚、札始め大師堂をお参りし、水のきれいな大師ゆかりの地、杖の淵公園に寄り、西林寺、浄土寺、繁多寺、石手寺とお参りして来ました。今回は参拝寺院が多いので、詳しいお寺案内は、後日、お寺ごとに詳しくご紹介する予定です。
 明神Pには13時25分に着きました。やはり下の砥部焼きセンターより寒く感じます。いつものように体操をして歩き出します。駐車場から下を見ると随分長い間工事をしている、新しい三坂トンネルが着々と出来つつあります。23年度開通とありました。
33号を上がって行くと、久万スキー場の入り口があります。四国にも数ヶ所スキー場があります。
30分行くと三坂峠に着きます。休憩することもなく、下り道にかかります。
この標識のあたりから坂が急になります。しりもちをついたら、鍋が割れたという、鍋割坂を慎重に下りて行きます。
 久万街道の看板から200メートルくらいは少し急な坂道が続きますが、それを降りると少し平坦な道になり、後は快適な山道を降りて行きます。もみじがだいぶ色付いて来ていました。
途中の道に何とも気持ちの悪い、赤い実?の植物がありました。うばゆり、別名まむしぐさ と言うそうでです。茎もまだらで、不気味でした。峠から一時間ほど降りると「坂本屋」に着きました。
 明治、大正期の遍路宿、坂本屋は平日は閉まっていますが、土、日、祝日はボランティアの方がいて、内部を見ることができます。二階の部屋もご覧いただけます。地元の大学生が書いた、きれいなパンフレットも戴けるのですが 残念ながら今日は閉まっていました。
坂本屋から少し行くと 遍路墓 が道端に集めて置いてあります。捨て手形を持ったお遍路さんが行倒れで死んでしまうと、哀れに思った地元の方が葬ったお墓です。前を通る度に、胸が詰まります。「南無大師遍照金剛」。
20分ほど行き山道を降りると「網掛け石」が見えてきます。 岩に網目が付いていています。
別名「鯨石」とも言います。見る角度により鯨の頭に見えるからでしょうか。
 その後、土塀と石垣のある民家の横を通り、抜けると、窪野公園です。今日最後のトイレ休憩です。浄瑠璃寺までは後、40分くらいです。
坂本小学校を過ぎると、間もなく薄いグリーンの壁の建物が見えてきます。今日の宿舎の長珍屋さんです。前が46番浄瑠璃寺です。
 浄瑠璃寺は山門がありません。変わりに正岡子規の句碑と山号を書いた石柱があります。階段を上がると木立の奥に本堂が見えます。
山号が書かれた大きな石碑の下、階段上がり口の、小さな石柱の裏側(左上の写真の右下)に発願主尭音、と書かれていました。
尭音さんとは、浄瑠璃寺は江戸時代の正徳5年(1715)に山火事で本尊と脇侍をのぞいてほとんどの寺宝、伽藍を焼失しましたが、70年後の天明5年(1785)、地元の庄屋から住職になった僧・堯音が復興に尽力しました。堯音は、托鉢をしながら全国を行脚してその浄財で現在の本堂その他の諸堂を再興しています。また、社会事業家としても知られ、岩屋寺から松山市にいたる土佐街道に、苦難の末に8つの橋を架けています。

 浄瑠璃寺の本堂右側には、可愛い抱っこ大師を置いてくれています。抱き上げましたでしょうか?
大師堂の左前にも、抱っこ大師より少し大きなお大師様がおいでです。抱き上げると頭の赤い帽子が、ずり落ちるのがご愛嬌です。真ん中の持鈴の付いた紐は弘法大師像の胸に繋がっています。これらはご住職がお造りになったもので、他にも沢山造られたものがあります。優しいご住職の心遣いに ありがとうございます の言葉が自然と出てきます
一願弁天堂には次のような言われがあります
昭和四十三年初秋、四人連れの遍路が石段を登りかけて立ちすくんだ。身体が震えて足が進まないのである。かねて予感のあった、弁天様のあることを知り、「弁天堂を再建し、今日以後、一願弁天と称号せよ」とのお告げを受けた。巡拝者は大阪の人で、鞍馬山で三十年の練行を積んだ行者さんはじめ、某大会社の社長夫人と専務夫人親子であった。この方々の尽力により、翌年五月二十日に弁天堂が完成し開眼法要が営まれた。以来毎月二十日を縁日としている。一願弁天様はその名が示す通り、一つ願いを必ず叶えてくれるので、多くの信者を集めている。音楽、智慧、美貌、財宝、福徳に霊験があるといわれ、お菓子、果物に卵、お酒がお気に召すそうです。
納経所が新しくなっていました。夕闇が迫ってきましたが、八坂寺さんまで15分位で着くので今日は八坂寺まで歩きます。

八坂寺、17時15分に到着です。山門の天井に描かれている絵です。薄暗くなっていましたが、お寺さんのご好意で本堂の中でお参りすることが出来ました。ありがとうございます。大師堂のお参りが終わると辺りはすっかり暗くなってしまいました。宿舎の長珍屋さんには17時45分に着きました。
今日一日ありがとうございました。お疲れ様でした。明日も楽しく元気に歩きましょう。

 おはようございます。現在7時15分です。今朝は雲一つない好天です。衛門三郎の里、駐車場で体操をした後、再び八坂寺さんに参ります。
きのうは暗くて、入るのが怖かったですが、今朝は大丈夫、閻魔堂です。本堂と大師堂の間に在ります。。「極楽の途」「地獄の途」があり、極楽には美しい浄土が、地獄には餓鬼道、畜生道、修羅道などが描かれています。やはりこの絵を見ても極楽がいいです。
駐車場には いやさか不動尊立像があります。毎年4月29日に柴燈大護摩供火渡り修行が行われます。
お不動さんの脇に立っている2童子は矜羯羅(コンカラ)童子・制咤(多)迦(セイタカ)童子といいます。矜羯羅(コンカラ)童子(画面右)は合掌した手に独鈷杵を持ちます。頭髪を五つに束ね左手に縛日羅(ばざら)(金剛杵)を、右手に金剛棒を持つのが制咤迦(セイタカ)童子です。


 八坂寺山門から文殊院に向かいます。池の横を通り15分ほど行くと文殊院です。
 修行姿の大きな弘法大師像の後ろに衛門三郎と奥さんの石像があります。
大師堂には大きな数珠が掛かっています。同様の大きいのが76番金倉寺本堂にもあります。
 5分ほど行った田圃の中に八ツ塚があります。この塚が衛門三郎の8人の子供を祀ったといわれる塚ですが、群集古墳群とありました。塚の上には小さな祠があり、石地蔵が立っておられます。
20分ほど行くと札始め大師堂(小村大師堂)に着く。四国遍路の元祖と言われる衛門三郎が、お大師さまの後を追って旅に出た。荏原郷を出て小村の中州にやって来ると松の大木の下にお堂を見つけた。そして、ここに弘法大師の像があるのを見つけた。衛門三郎は大師像に何度も詫び、一夜を明かし翌朝、出立する時に木を削いで札を作り、自分の名を書いてお堂に打ちつけた。これが納札の始まりと言われている。お堂は札始大師堂と呼ばれるようになった。またお寺を参拝することを、打つ と言う語源もここから来ている。お堂には松の大木、3代目と言われる老松があったが、昭和17年(1942)の台風で倒れてしまった。

 重信川を渡り20分行くと、杖の淵公園に着きます。  

 四国巡錫中のお大師様がこの地を通りがかった際に、住民が大干魃に苦しんでいました。これを見たお大師様が水脈を見つけ、ここに杖を突き立てると清水が湧き出ました。それから清水は尽きることなく湧き出て淵となりました。 この伝説から「杖ノ淵」と名付けられた。ここは四十八番西林寺の奥の院となっています。きれいな水の中に「ていれぎ」が一面にあります。
杖の淵として1985年(昭和60年)に日本名水百選のひとつに選ばれています。市民の方がポリタンクを何本も持って水を汲みに来られています。5分行くと48番西林寺到着です。
 山門手前には正岡子規の句碑が立っています。ここの手洗場の水も名水です。脇には持って帰れるように蛇口もあります。
 大師堂の後ろには「孝行竹」があります。大師堂は先年新しくなりました。
本堂と納経所前にある「福授け地蔵」です。池には鯉がたくさん泳いでいました。
 西林寺から浄土寺までは約45分で着きます。途中大日如来が鎮座する小さな祠を通り、11号バイパスに出ます。
 久米小学校の前を通り、交通量の多い道を行き、伊予鉄の踏み切りを渡るころ、正面に浄土寺の山門が見えてきます。
山門右側の仁王さんの眼も、現在ではきれいに修復されています。
山門を潜り、階段を上がると正面に本堂があります。左手前には、正岡子規の句碑があります。
 大師堂の奉納額には、神峯の奇跡 の水谷繁治さんのお名前があります。
 浄土寺から 繁多寺までは25分です。日尾八幡神社の社殿の前を失礼します。その後、民家の横を通り墓地の中を抜けて行くと、繁多寺に着きます。
山門右側には接待一万人、大願成就記念の石柱があります。
鐘楼堂の天井にはこんな絵が描かれています。 どっしりとした立派な本堂が正面にあります。
本堂、左に在る聖天堂は 四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天をお祀りしています。祈れば富貴を与え、厄除け、夫婦和合、商売繁盛などのご利益があります。
山門を出て、右側の池に沿って進みます。40分程で今回の歩き終わりの石手寺に着きます
 民家の間を抜けて「へんろ橋」に出て、右の山を見上げると、お大師さまの像が山頂にありました。石手寺までもうすぐです。
 正面に石手寺が見えてきました。境内に入ると仲見世風の参道を通ります。
仲見世を通り抜けると、 国宝の大きな山門があり左右に大草鞋が掛かっています。
山門手前にはこんな像もありました。
山門をくぐると左側にぼけ防止の阿弥陀堂があります。大きな 五鈷杵(ごこしょ)の向こうの階段を上がると本堂があります。
 本堂横には「韋駄天」像を祀る祠があります。「八十八都卒天洞」に入ります。中は少し照明がされていますが、かなり暗いのでゆっくり進みます。左の突き当たりにはお大師様がおいでます。
暗い洞穴から外に出ると落書きが一杯してある、大師堂(落書き堂)の裏に出ます。夏目漱石、正岡子規の落書きもありました。大師堂の階段を下りると右側に三重塔がある。三間三重の塔で、高さは24.1m。初重内部の四天柱の奥側柱間には来迎壁(らいごうへき)が設けられ、壁の前面に須弥壇(しゅみだん)を置いて釈迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)の像が祀られている。外壁内側には真言宗八祖が描かれ、来迎壁には曼荼羅(まんだら)の図絵があります。四天柱・格天井(ごうてんじょう)にもそれぞれ彩色が施されている。鎌倉時代の特色を伝える建物です。
三重塔の廻りには、お砂撫でが出来ます。一日中線香の煙りが漂っています。
今回はここ石手寺で歩き終わりです。今回は参拝寺院も多く、楽しい歩きでしたが、大変お疲れ様でした。ありがとうございました。次回も頑張りましょう。
17日~18日、19日~20日にご一緒の3期の皆様は、11月5日~6日に3期、一回目で歩いた同じコースを11月8日にUPしてあります。そちらをご覧いただければ幸いです。
                                                                                    ありがとうございます   合掌
家内がホームページを作りました。宜しければご覧ください。
http://fkeiko.web.fc2.com/
四国巡拝センターはこちらから