2011年12月1日木曜日

高野山 慈尊院から奥の院 広島2期 11月24日~25日

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11月24日~25日、広島2期の皆様と高野山に四国八十八ヶ所、結願の報告に行って来ました。24日は矢立まで、25日は奥の院まで歩いての2日間でした。結願された後の歩きだったので、皆さん晴れやかなお顔の、楽しい2日間でした.



慈尊院は高野山の庶務を司る政所(寺務所)として、また空海の母,玉依御前が讃岐国からやって来たが高野山は女人禁制であるため、麓にあるここに滞在しました。空海はひと月に9度山道(町石道)を下って母を訪ねてきたので、「九度山」という地名が付けられたと言います。空海は母の死後、弥勒菩薩像をつくり、母の霊を祀ったといわれ、弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、慈尊院と呼ばれるようになりました。空海の母が弥勒菩薩を熱心に信仰していたことから慈尊院は女人結願の寺「女人高野」とも呼ばれました。
大師堂と案内犬、ゴンの碑です。高野山町石道の20km強の道を朝、慈尊院を発って、夕方に高野山上の大門まで道案内し、夜には慈尊院に戻る毎日を送っていた。平成4年にガイド犬を引退し、その後老衰ため、平成1465日午後350分に息を引き取った。約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり、このゴンは「弘法大師の案内犬の再来・生まれ変わり」などと呼ばれ親しまれていた。
12.30分、体操の後、慈尊院出発です。まず最初に、丹生官省符神社への階段を上がります。途中180町石、一番目の町石が右側に見えます。
 119段の石段を上がり、赤い鳥居をくぐると丹生官省符神社の社殿が正面にあります弘法大師が慈尊院を創建する際、その鎮守として丹生・高野明神を祀ったのが始まりです。社殿は、春日造りです。
 紙遊苑、勝利寺の横を通り、坂道を登ります。新池橋の横を通り、柿畑の中の急坂を35分上がると展望台に着きました。柿畑は収穫が終わっていましたが、カラスの為に木に一個、大きな柿が残されていました。
 展望台で一服です。慈尊院では寒かったので着込んでいましたが、ここまでで大汗をかきました。
衣服の調整した後、再出発です。
 道を外れて、山中に入ると、イノシシの罠に注意です。どこか忘れましたが、「この山は禁猟区です。イノシシは除外」とありました。イノシシも大変です。雨引山分岐まで、展望台から40分でした。
 快適な山道を歩きます。この道は「弥勒浄土への道」と言われています。が途中険しい道もありました。

 分岐から約50分で、階段を上がると、六本杉に着きます。丹生都比売神社へはここから下りますが、今日は時間が無いので、前に進みます。これから先は歩きやすい道が続きます。
 
丹生明神と高野明神の鳥居で、弘仁10年(1819年)に大師が建立されました。当時は木製でしたが慶安二年(1649年)今の鳥居に建て替えられました。二ツ鳥居の眼下には、丹生都比売神社と、天野の里が見えています
 
この大きな岩には白蛇が棲みついていて、白蛇を見ると幸せになれると伝えられる「白蛇の岩と鳥居」(垂迹岩)です。
少し下ると紀伊高原ゴルフ場のティーグランドの横を通ります。神田の里とゴルフ場の境目にある池は、桃山時代に豊臣秀吉の高野山攻めを食い止めた、木食応其(おうご)上人が、丹生都比売神社の御供田である神田の里のために造った溜め池であると伝わっています。
神田地蔵堂は古くから丹生都比売神社に米を献納してきた神田の里の外れにあります。本尊は子安地蔵尊です。

90町石16.00通過です。山の中ですから、もう薄暗くなって来ています。笠木峠を過ぎ、空に少し明かりが残る17.10分に矢立に到着しました。トイレを使いバスに乗ると、真っ暗になってしまいました。今日の宿坊、「遍照尊院」には17.40分に着きました。夕食は完全な精進料理でした。大変美味しくいただきました。今日は約4時間半ほどみっちり、山を登って来ました。明日は残り2時間くらの登りが残っています。そして最後に急坂が控えています。明日も頑張って登りましょう。
ありがとうございます。お疲れ様でした。 
 おはようございます。二日目は朝6.00からの勤行の後、朝食をいただき、バスで降りて来ました。
現在8.00ですが、山の冷気が肌を刺します。
袈裟懸け石を過ぎると 、押し上げ石が見えてきます。高野山は明治時代まで女人禁制でした。弘法大師の母、玉依御前は禁を破って五十四町石あたりまで登山してきました。ここより先は入れませんよと大師がいくら説明しても母は聞き入れません。そこで大師は石に袈裟をかけ「ここを越えられますか」と告げます。言葉どおり母が飛び越えようとすると突如雷鳴がとどろき、火の雨が降ってきました。驚いた大師はとっさに岩を手で押上げ、その影に母をかくまいました。五十四町石の先にあるその岩には今も大師の手形が残っているといわれており、ここからが高野山の清浄結界とされるゆえんです。また、石の下をくぐると長生きするといわれ、くぐり石とも呼ばれています。
矢立から一時間、高野山に向かう道路を横切ります。ここから大門までは後一時間です。
道路を横切り、登るとすぐ展望台がありますが、前の木々が大きくなり見えにくいですが、和歌山方面が望めます。しばらく行くと「鏡石」があります。岩に向かって真言を唱えると心願成就すると言われます
 木の橋を数ヶ所渡ります。いよいよ大門が近くなってきました。十六町石あたりから急な上り坂になります。階段を一歩一歩踏みしめて上がると
大門が頭上に現れます。とうとう高野山に登ってきました。心が洗われる瞬間です。歩いて登ってきた遍路だけが味わえる、至福の時です。心から込み上げてくるものがあります。
 10時過ぎの気温、3度です。寒いけれど、身体が熱く感じられます。大門を降りて、「壇上伽藍」に向かいます。
程なく壇上伽藍に着きます。お大師様は高野山をお開きになる時、まず壇上伽藍から始めました。密教思想に基づく、金堂、大塔、西塔、僧坊などを建立されました。伽藍とは本来、僧侶が集い修行をする閑静な場所という意味です。金堂のそばに平清盛が大塔修復中にお大師様が現れてその功を讃えたという対面桜がありました。
 御影堂の手前には三鈷の松があります。孔雀堂、西塔、御社、山王院などを見学の後、六角経蔵をみんなで回しました。
 根本大塔の階段を降りると左側、愛染堂の前に、奥の院への三十六町石の一町石があります。百八十町石の一町石は金堂に上がるスロープの横にあるのですが、コカコーラの販売機に隠れて見落としてしまいました。ごめんなさい。金剛峯寺に向かいます。紅葉がとてもきれいでした。

豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巌寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称しました。青巖寺(剃髪寺)は秀吉が亡母の菩提のために建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られているます金剛峯寺の主殿は江戸末期文久3年(1863)に再建されました、東西 54 m 南北 63 m の書院造建築です。明治以降は、高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称しています。主殿の上には水桶が見えます。昔は高野山の建物の上には見かけられましたが現在ではこの建物だけにあります。
昼食は数珠屋四郎兵衛さんです。ここでも精進料理の昼食でした。
 昼食後は刈萱堂をお参りしました。苅萱道心(かるかやどうしん)と石道丸(いしどうまる)の話は、悲話として広く知られています。このお堂は苅萱道心が出家し、実の子である石道丸とともに父子を名乗ることなく仏道修行に明けくれたと伝えられています。
奥の院への入り口は一の橋と中の橋の2箇所がありますが、正式には一の橋から参拝します。 一の橋から御廟までは約2kmあります。途中には「かくばん坂」などの七不思議と呼ばれる場所があります。              
奥の院参道の、中の橋を渡ってすぐさしかかる石段は、覚鑁坂とよばれています。 四ニ(死)を越えるという意味があるのか、四三段になっているこの坂は、 万一途中で転ぶと三年ともたないと伝えられ、別名を三年坂とよばれています。また中の橋の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があります。不思議なことに毎日巳の刻(9~11時)になると必ず汗を流すと言われています。 このお堂の右側にある小さな井戸は、姿見の井戸と呼ばれています。この井戸をのぞきこんで、自分の顔が映らないと三年以内に死んでしまうといわれているそうです
松尾芭蕉の句碑があります。「父母のしきりに恋し雉の声」は宇和島、別格龍光院さんにも同じ句碑がありました。御廟橋のすぐ上流の川床に卒塔婆が立てられています。水難や難産で死んだ人たちを供養するためのものです。流水灌頂といいます。
御廟橋です。玉川に架かる御廟橋を渡ると、いよいよお大師さまの霊域に入ります。
御廟橋は、36枚の橋板で造られており、全体を1枚と数えて金剛界三十七尊を表していると言われます。それぞれの裏面には種子(梵字)が刻み込まれています。御廟橋は、参詣する人たちを弘法大師が迎え、見送る場所です。この橋を渡る時には御廟に向かって合掌します。奥に燈籠堂が見えます。燈籠堂は御廟の前室として、真然(しんぜん)が創建しました。参道正面の石段上にあり、大師へ献上するたくさんの灯籠が堂内いっぱいに下げられています。なかでも1016年(長和5)、祈親[きしん]上人が高野山の復興を祈念して献灯した祈親燈は、貧しいお照という娘が髪を切って売り、献じたものと伝えられ、俗称貧女の一灯ともいわれています。1088年(寛治2)に白河法皇が献じた白河燈とともに「消えずの燈明」とよばれています。また昭和の時代にある宮様と首相の手によって献じられた昭和燈が燃え続けでいます。その他にもたくさんの方々の願いが込められた燈籠が奉納されています。建物は昭和に改築されたものです。
弘法大師御廟
 燈籠堂の後方、奥の院の一番奥に弘法大師が入定されている御廟(ごびょう)をお詣りします。高野山の中で最も清浄な聖地です。御廟の周囲には千年杉やお香の煙たちこめでいます。線香、ろうそくを灯し、、御廟にお祈りをします。 言葉に言い表せない気持ちになります。ゆっくり般若心経を唱えます。全ての読誦が終わった後、椅子に座って瞑想します。
全てのお参りが終わった後は、中の橋の駐車場にむかいます。途中にあったユニークなお墓です。
 天候は寒い二日間でしたが、心が暖かい満足感で充実しているので寒さを感じませんでした。
14.30分満足感一杯で高野山を後にしました。ここに満願しました。
広島2期の皆様、おめでとうございました。四年間本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。
これからも健康に気をつけて、益々のご発展を心よりお祈りしています。
お疲れがとれましたら、またお四国参りはいかがでしょうか。巡拝センターがお待ちしています。
ありがとうございます  合掌

四国巡拝センターはこちらからです。http://www.junpai-center.net/

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